Masakazu Yoshida

やったことがないから、やってみる

2015-01-18 12:00

「やったことがないから、やってみる」というのは、私の行動方針の一つです。

たとえば、先日、はじめて料理教室なるものに参加してみました。自分でも料理をするので特に驚くようなことはありませんが、同席の方々と仲良くなって、京都にある穴場の料理教室の情報を教えてもらいました。食べることが好きなので、ときどき参加してもいいかなと思います。

やってみて、どうも自分には合わないようだ、ということが分かれば、それはそれで一つの重要な情報ですし、そこで止めれば、それほど大きなコストでもありません。話のネタにだってなるでしょう。幸運にも、ヒットがあれば、そこを深く掘っていく切っ掛けになりますし、隠れていた大鉱脈を掘り当てることができるかもしれません。

「やったことがないから、やってみる」は、情報科学の言葉でいえば、「試行錯誤による、ランダムな空間の探索」に相当します。

「空間の探索」を「宝探し」にたとえて考えてみましょう。「やったことがないから、やってみる」は、ランダムに広い空間をまんべんなく探すということになります。対照的に、「なじみのあることだけをする」あるいは「好きなことだけをする」のは、恣意的に選んだ(客観的には、たぶん偏っている)数個の点の周囲だけを繰り返し探すことです。どちらが、宝物を見つける可能性が高いでしょうか。

もし事前の情報がない(どこに宝物が埋まっているかわからない)のであれば、より広い範囲を探すのが合理的ですし、偏りがないように(=ランダムに)探すことは、宝物を掘り当てる幸運を最大化する方法の一つです。

言い換えると、「やったことがないから、やってみる」は、こちらから幸運に出会いに行く系統的な方法です。もちろん、確率的に絶対はないので、制限時間内(=人生は有限)に、すべての人が自分の宝を掘り当てることができるとまでは言えませんが。

「すでに宝箱を見つけた」場合や、「シャベルがコチンと宝箱らしきものに当っている」場合は、そこに集中するのも一つの考え方です。しかし、経済学のポートフォーリオ理論によれば、不確実性、たとえば、「宝箱の中身が、なんらかの事情の変化で、ただの石に変ってしまう」危険や「他にもっと大きな宝箱があるかもしれない」可能性を考慮すると、成功している人にとっても、「やったことがないから、やってみる」ことを一定の割合で自分の人生に織り交ぜることは、有効な戦略だと思います。

と、まあ、いろいろ難しいことを考えてみましたが、つまるところ、「やったことがないから、やってみる」は楽しいからやるのです。